本校は新制中学校として、昭和22年4月1日に地域の期待を一身に受け開校しました。校名は「東京都西多摩郡五日市町立五日市中学校」でした。
昭和22年の開校当時は中学生が学ぶ校舎はなく、五日市小学校の校舎を間借りして授業は行われていました。この事態をなんとかしなければということになり、五日市町では、それまで進めてきた町立家政女学校新築計画をとりやめ、それをそのまますべて中学校校舎建設にまわすこととしました。
敷地は現在の五日市小学校の東側と決まり、昭和22年9月25日には新しい校舎の完成を祝う落成式が盛大に挙行されました。しかし新校舎は教室が足りず、その後も五日市小学校を間借りしての授業はつづきました。
こうした教室不足を心配なされた地域の多くの有志の人たちが中心となり、将来のある中学生がしっかり学べる校舎を確保してあげたいという声があがりました。その声はしだいに大きくなり、ついに中学校校舎新築計画へと実を結ぶことになりました。
そして昭和25年5月、現在の地に木造2階建ての新校舎が完成しました。
昭和38年4月には戸倉中学校、小宮中学校との統合がなされ、その後昭和42年4月には現在の特別支援学級が、他の地域に先駆けていち早く開設されました。
平成7年9月には五日市町と秋川市とが合併し、校名も新しく「あきる野市立五日市中学校」となり、今年開校77周年を迎えました。
本校の卒業生は優に1万人を超え、市内をはじめ、都内に限らず国の内外で有為なる人材としてすばらしい活躍をしています。そうした先輩を誇りに思い、またその後ろ姿を見ながら、後輩たちはそくぞくと先輩諸氏のあとに続いています。
「五日市憲法草案」に見られるように学問を尊び、進取の気性に富み、伝統を敬う気風は、建学の精神として、現在まで脈々と受け継がれています。